音がなくても音楽?
4分33秒
今年2月14日、バレンタイン・デーにフロリダ州の高校で銃の乱射があり教師と生徒が17人も射殺されるという痛ましい事件がありました。アメリカでは最近に至りこうした銃撃事件がますます激しく起こるようになった気がします。この事件の後、高校生に主導された銃規制を求める大きなデモが全米各地でありました。そのとき数万人の参加者の前で演説をしたのがエマ・ゴンザレスという女子生徒でした。彼女は人々の前で6分20秒にわたり涙を流しながら黙ったままじっと立ち尽くしたのでした。しっかり目を見開いて前を見据えていましたから黙祷とは違います。この6分余りの時間は校内で銃撃が行われた時間の長さでもありました。この沈黙が人々にさらなる感動を残したそうです。彼女はそのあと自分の気持ちをはっきりと、そしてしっかりと語ったのは言うまでもありません。
沈黙で思い出すのは、今から50年余り前、サイモンとガーファンクルというボーカルユニットが「サウンド・オブ・サイレンス」という歌を世界中にヒットさせました。単純に日本語に訳せば「沈黙の音」です。静かに語りかけるように歌うその歌詞は英語で読んでも大変にわかりにくい。隣人とのコミュニケーションなどの世界へのアプローチが私たちの感性とはちょっと違ったセンスなのです。日本語の訳詞を読んでもまだわかりにくい。歌詞の解釈はアメリカ人にも分かりにくいそうです。でも、メロディーラインはとても美しい。当時この曲を聴いた会社の同僚が、涙を流さんばかりに感激していたのを思い出します。
まずこの曲を聴いてください。
もうひとつ面白い「曲」を紹介します。それはジョン・ケージが作曲?した「4分33秒」という曲です。この曲は驚くべきことに初めから終わりまで無音なのです。これでも音楽といえるのかと思いますが、ジョン・ケージはアメリカのすぐれた現代作曲家なのです。ではなぜ無音で音楽が成り立つのか、と考えてみました。YOU TUBEでいろいろな演奏?を聴くことができますが、ソロ・ピアノの場合でも、オーケストラの場合でも演奏者はじっとしているだけで音を奏でません。聴衆も無音のステージに向かって神妙な顔をしています。そして4分余りが過ぎると一斉の拍手。なんだこりゃ!と思わされます。
実はこの無音の時間に聴衆は頭の中でいろいろな音を自分で奏で、その時間を楽しんでいるのではないだろうかと私は思い至りました。いつもステージから一方的に降ってくる音を聴くのでなく、聴衆自ら音の創造者になる、ということなのかなあと。音楽ド素人の勝手な想像です。本日のブログは音と沈黙に関する雑記帳でした。(YONO)
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